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行空

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ぎょうくう/行空

三世紀初め頃、生没年不明。房号は法本房(法々房・法宝房とも)。出家修行の詳しい履歴はわからないが、法然弟子となり幸西とともに一念義を主張した。元久・建永頃から主張を盛んにしたらしく、元久元年(一二〇四)『七箇条制誡』では四〇番目に署名。蔵人頭三条長兼の『三長記』建永元年(一二〇六)二月の記事には、興福寺が朝廷に対して専修念仏停止ちょうじをしきりに訴える様子が記され、罪科すべき人物に行空をあげる。二月三〇日条に行空遵西の罪名について明法博士に勘申を命じた宣旨によると、行空一念往生義を立てて戒律破棄を勧め余仏を謗ったという。戒律実践や諸仏信仰の意義を否定したため、興福寺はその偏執な言動を訴えたのである。同日条によると、法然行空を一弟から放っており、その急進性は法然も思いあまらせるほどであった。直後の建永の法難で佐渡流罪となる。行空は著書を残さず具体的な思想内容はよくわからない。聖光西宗要』五に「法本房の云く、念と者思いとよむ、されば称名には非ず」(浄全一〇・二二八上)とあり、これが正しい伝承かは不明ながら念仏行より心の様態を重視したことがうかがわれる。


【資料】『歎異抄』奥書、『古徳伝』七(法伝全)、『四十八巻伝』四八(聖典六)


【参考】松野純孝『親鸞—その生涯と思想の展開過程』(三省堂、一九五九)、伊藤唯眞「一念派の行動と思想」(『浄土宗史の研究』〔『伊藤唯眞著作集』四〕法蔵館、一九九六)


【参照項目】➡一念義


【執筆者:善裕昭】