機法一体
提供: 新纂浄土宗大辞典
きほういったい/機法一体
衆生の機根と仏(または仏の教法)が不離・不二であること。主に浄土宗西山派、および真宗の用語であり、善導『観経疏』玄義分にある「南無と言うは、すなわちこれ帰命、またこれ発願回向の義。阿弥陀仏と言うは、すなわちこれその行なり」(聖典二・一八二/浄全二・一〇上~下)という六字釈に基づく。つまり「南無阿弥陀仏」という一語を称える行のなかに、「南無」という衆生の願心と「阿弥陀仏」という仏の行体が具足(願行具足)していることを説き、このことから衆生の機と仏の法が一体不二であると論ずるものである。
【資料】『安心決定鈔』、覚如『願願鈔』、存覚『教行信証六要鈔』
【参考】結城祐昭「機法一体の一考察」(『宗教研究』一三三、一九五二)、森英純「西山の機法一体説抄出」(浄土学二五、一九五七)、普賢晃寿「機法一体の展開」(石田充之博士古稀記念論文『浄土教の研究』永田文昌堂、一九八二)
【執筆者:沼倉雄人】