疑心
提供: 新纂浄土宗大辞典
ぎしん/疑心
疑う心のこと。浄土宗においては、特に往生に疑いを持つことを意味し、深心の反意語ということができる。『往生礼讃』では「乃至一念も疑う心あることなかれ。故に深心と名づく」(浄全四・三五四下/正蔵四七・四三八下)と説かれ、また法然も『浄土宗略抄』において「疑う心のなきを深心とは申しそうろうなり」(聖典四・三五七/昭法全五九五)と述べ、深心を疑心がない心とする。また法然は阿弥陀仏の本願や往生などについて、疑心を起こしてはならないことを、様々に述べている。また『往生記』には、四つの往生の障りとなる心のはたらきが説かれ、疑心はそのなかの一つに数えられている(聖典五・四/浄全九・八四六下)。
【資料】『正如房へつかわす御文』、『大胡太郎実秀へつかわす御返事』
【執筆者:長尾隆寛】