正徳二年(一七一二)—寛政六年(一七九四)四月一七日。青蓮社香誉耆山玄海。江戸神田の人。俗姓は栗原氏。一一歳で増上寺安立院義誉のもとで得度し、のちに貞現に師事した。青山に母と住み、母が亡くなると梅窓院に葬って墓の傍に寿蔵を建てて念仏に専念した。礼誦課称、浄業の暇に書を読み、詩をつくり、筆をはしらせ、茶を吟味する等の生活を送り、清貧に暮らして八三歳で寂した。著書に『青山樵唱集』一〇巻がある。
【資料】『略伝集』(浄全一八)、『三縁山志』一〇(浄全一九)
【執筆者:田中芳道】