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阿弥陀経疏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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あみだきょうしょ/阿弥陀経疏

一巻。新羅・元暁著。七世紀頃の成立。『阿弥陀経』の注釈書。冒頭部で、穢土浄土は本来一心であると説かれ、元暁の華厳唯心思想の立場から『阿弥陀経』を注釈することが明らかにされている。大意・宗致・経文解釈三門から構成される。大意門で、『阿弥陀経』は釈尊阿弥陀仏の出世の本意を明かし、在家・出家の男女が仏道へ入る要門をしめす経であると説かれている。『阿弥陀経』の名を聞くと一乗に入り、仏号を称えるとき三界の苦を超えるとも説かれる。宗致では、三界を超える器世間衆生世間の二種の清浄をもって『阿弥陀経』の宗とし、衆生に無上道で不退転の位を得せしめることをその意致と説いている。経文解釈では、『阿弥陀経』中の「善根福徳因縁」という語句を、元暁発菩提心と解し、往生正因とすると説いている。また、一七日の執持名号を以て、往生の助行としている。発菩提心往生正因であることは、元暁自身の『両巻無量寿経宗要』でも主張されている。


【所収】正蔵三七


【執筆者:山中行雄】


一巻。基の撰述と伝わる。『阿弥陀経』の註釈書。第一叙仏身、第二叙其土、第三叙不退転、第四叙偏讃之心、第五叙体性、第六叙部類宗趣、第七判釈文義の七門に分けられ、法相教学の立場から『阿弥陀経』を註釈している。「断疑証実」を宗旨とする本書の特徴は、仏身仏土に関して法相教学で主張される唯報説を説かず通報化説の立場をとること、善導と同じように別時意を認めず、念仏は兼行であり唯発願ではないとすることなどが挙げられる。撰述者について、宋・仁岳や遵式が基に『阿弥陀経』註釈書が二本あることに触れているので、中国では基撰述と考えられていたようだが、日本では永超『東域伝灯目録』において、すでに疑義が提示されており、真諦訳の多用や、『八十華厳』の引用が見られることから、『阿弥陀経通賛疏』とともに偽撰と目されている。奥書によると、唐・大中七年(八五三)に福州開元寺常契から円珍に授けられ日本に伝わったとされ、その後久しく失われていたが、寛政四年(一七九二)に法然院典寿が智積院経蔵から発見し校訂出版したとされる。


【所収】浄全五、正蔵三七


【参考】林香奈「基撰とされる『阿弥陀経』注釈書について」(印仏研究五五—一、二〇〇六)


【執筆者:石上壽應】


一巻。智円撰。自序に宋・天禧五年(一〇二一)一〇月晦日より一一月二日の三日間で書き上げたと記されている。天台教学の立場から『阿弥陀経』を註釈した書。五重玄義にしたがい、釈名・弁体・明宗・論用・判教の五門に分け、次いで随文解釈している。山外派の智円は『観経疏刊正記』(散逸)の中で、第九真身観のみ理観であり他はすべて事観であると主張したように、善導教学の影響を受けながら願生思想を展開しており、理観を重視する山家派の知礼に批判されていた。本書では『観経』を定善、『阿弥陀経』を散善と判じ、方等時に属するものの遍く漸教にも通ずるとしている。智円は信・願・浄業の三種を『阿弥陀経』の要に位置付けており、これはのちに元照がんじょう袾宏らに引き継がれ、信願行三法具足念仏が主張されることになった。また智顗撰とされる『阿弥陀経義記』は倭人の仮託であろうとしているほか、六方段以後すべてを流通分と判ずるのは極めて珍しい。


【所収】浄全五、正蔵三七


【資料】『観経義疏正観記』


【参考】福𠩤隆善「善導教学と趙宋天台—特に知礼の浄土教をめぐって—」(印仏研究二五—二、一九七七)


【執筆者:石上壽應】