戒品
提供: 新纂浄土宗大辞典
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かいほん/戒品
戒の種類。かいぼんとも。善導の『観経疏』序分義には「具足衆戒と言うは、然るに戒に多種有り。あるいは三帰戒、あるいは五戒、八戒、十善戒、二百五十戒、五百戒、沙弥戒、あるいは菩薩の三聚戒、十無尽戒等なり」(聖典二・二三一/浄全二・三一上)と総括し、また法然の『往生大要抄』には「比丘は二百五十戒を受持し、比丘尼は五百戒を受持するなり。五篇七聚の戒と名づくるなり。沙弥、沙弥尼の戒、式沙摩尼の六法、優婆塞、優婆夷の五戒、みなこれ律宗のなかにあかすところなり」(聖典四・三〇一/昭法全四八~九)と言及する。さらに法然は往生と持戒に関連して『念仏往生要義抄』に「酒肉五辛を永く断じて五戒十戒等堅く持ちてやんごとなき聖人も、自力の心に住して念仏申さんにおきては仏の来迎に預からん事、千人が一人、万人が一二人なんどやそうらわんずらん」(聖典四・三二六/昭法全六八四~五)と述べて、いかなる戒を持とうとも自力の念仏によっては往生の困難なることを指摘し、『示或女房法語』には「我ら戒品の船筏も破れたれば生死の大海を度るべき縁もそうらわず…聖道の得道にも漏れたる我らがために施したまう他力と申しそうろうは、第十九の来迎の願にてそうらえば、必ず来迎はあるべきにてそうろうなり」(聖典四・五二一~二/昭法全五九〇)と論じて、すでにいかなる戒品も持ちようもなく生死出離の縁なき凡夫観と、そうした凡夫に施される阿弥陀仏の本願のありようを説き明かしている。なお法然は『逆修説法』二七日において「また往生の行業、惣じてこれを言わば梵網の戒品を出でず。これに准じてこれを思うに、往生の行業この経の三福の業をば出でず。梵網の戒品と云えども、則ち具足衆戒の一句なり」(昭法全二四一)と述べ、いかなる戒品も一つの概念に収まるとしている。ちなみに迷いの世界(此岸)から覚りの世界(彼岸)へと渡るための教えなどが船や筏に譬えられることは仏典に多く見られるが、前出の法然法語では戒品が生死の大海を渡るための船や筏に譬えられていたことが知られよう。また、法然作と伝わる『授菩薩戒儀則』(黒谷古本)には「菩提の広路には戒を資糧と為し、生死の大海には戒を船筏と為す。無明の長夜には戒を灯炬と為し、悪業の重病には戒を良薬と為す。報恩経に云く、戒品を持たざる者は、なおし人身をすら受けること無し」「戒品を受けずして瞑目におよばん者、刀山火聚に望んで悔といえども更に何れの益か有らんや」(聖典五・四七四)とある。
【参照項目】➡戒と念仏
【執筆者:田中芳道】