開宗
提供: 新纂浄土宗大辞典
かいしゅう/開宗
一つの宗派を開くこと。浄土宗においては、法然が善導の『観経疏』の「一心専念の文」に出会い専修念仏一行に帰した承安五年(一一七五)をもって立教開宗とする。法然は全ての人々が救われる道を求め、経蔵に納められた一切の経典・書物を幾度も繙いていた。その中で『往生要集』の引用元として注目したのが善導の『往生礼讃』等の著作であり、とりわけその『観経疏』を懇切に拝読すること三遍、「一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥に、時節の久近を問わず。念念に捨てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に」(聖典二・二九四/浄全二・五八下)の一文に出会い、ついに自身のような凡夫の浄土往生が叶えられるとの確信を得たのである。以後、それまで修してきた諸々の行を捨て、ひたすら念仏一行の修行生活に入り生涯をかけてその教えを広めていった。「浄土立宗の御詞」に「我今浄土宗を立る意趣は、凡夫の往生を示さんが為也。…善導の釈義に依て浄土宗を興する時、即凡夫報土に生まるということ顕るる也」(昭法全四八一)とあるように、この善導の釈文によってこれまでの仏教界の常識を覆す、低下の凡夫が最易の念仏行によって最上の報土(西方極楽浄土)に往生できる、という論理を確立するに至った。これは修行する者の側からの行の価値判断を転換し、仏の側からの価値判断を導入したことで仏教のあり方を根本から問い直すこととなった。開宗の年次については、伝記・資料の記述あるいは「開宗」の語の捉え方によって諸説あるが、『七箇条制誡』の記述や香月乗光の「浄土開宗はその本来の意味において、畢竟法然の信仰の獲得、精神の開眼に基づくのであって、これをさし措いて他のどのような行実をとりあげても、開宗の事実は出てこない」(「法然上人の浄土開宗の年次に関する諸説とその批判」『法然浄土教の思想と歴史』二〇七)との論考からも回心の承安五年・四三歳説が妥当と言える。
【参考】丸山博正「『選択集』について—法然語録解釈の基準として—」(正大紀要六〇、一九七五)、林田康順「開宗」(『布教・教化指針』浄土宗、一九九九)
【執筆者:渋谷康悦】