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応身

提供: 新纂浄土宗大辞典

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おうじん/応身

教化対象個々の宗教的な能力に対応してその姿を示現し教化を行う仏身のこと。ただし使用されている諸経論でその定義が異なっている。Ⓢnirmāṇa-kāya。菩提流支訳『金剛仙論』(正蔵二五・八五五上)や同『十地経論』(正蔵二六・一三八中)などで用いられ、その後、経典では闍那耶舎訳『大乗同性経』(正蔵一六・六五一下)や菩提流支訳『深密解脱経』(正蔵一六・六六九上)で、論書では真諦訳『摂大乗論』(正蔵三一・一一三下、一三二下)や同『摂大乗論釈』(正蔵三一・二五〇上、二五四中、二五五下、二六七上~中など)や伝真諦訳『起信論』(正蔵三二・五七九中~下)などで使用されている訳語。また、この訳語は特に中国仏教が隋代に仏身論を形成していく際に使用され、たとえば『起信論』では心意識説と仏身論とを関連させ、真如本来は法身でありつつも、凡夫二乗の転識によって応身が所見の対象となり、菩薩の転識によって報身が所見の対象となることを明かしている。あるいは浄影寺慧遠の『大乗義章』一九「三仏義」(正蔵四四・八四〇下)では真・応・化の三身論の説明を行うなかで二義を挙げ、第一義では『涅槃経』を典拠として、法・報を合わせて真身とし、王宮所生の道樹に現成する仏身を応身としている。さらにこの応身から出生する無量無辺の化仏化身と説明している。第二義では『金光明経』を典拠として、法・報を合わせて真身とし、衆生を化するにしたがって自ら仏身を示現し、相好具足し威光殊勝の様子の仏身であるとしている。さらに第一義における応身化身とを合わせた仏身を応身とし、衆生のために様々な形相を現じ、その際に仏形を有していない仏身を化身であると説明している。その他、吉蔵の『大乗玄論』(正蔵四五・四五下~六上)や基の『大乗法苑義林章』(正蔵四五・三五九上、三六〇上、三六一中~二中)などにおいて諸経論所説の応身説に関する詳細な整理が行われている。また唐代初期には報身応身が混淆して使用されるようにもなり、たとえば智儼ちごんの『華厳経五十問答』には「報身仏。また応身とも名づく」(正蔵四五・五一九中)とあり、あるいは善導の『観経疏』には「報身応身が前翻・後翻の関係にある」(浄全二・一一上)という記述などが見られる。一方で応身化身とが混淆して使用される場合もあり、応化身あるいは化身などという用例も使用されるようになった。また唐代初期は『涅槃経』を典拠として、釈尊は自国の浄土である無勝世界からこの娑婆世界八相成道を示現した応身であるとする見解もあった。この「応身」という語は隋代から唐代初期における中国仏教仏身論を整理する際に不可欠なものであるとともに、中国仏教訳経史ならびに思想史の展開とともにこの語そのものの定義が変遷していることから、これを一概に定義することは困難である。


【参考】神子上恵竜『弥陀身土思想の展開』(永田文昌堂、一九六八)、長尾雅人「仏身論をめぐりて」(『哲学研究』五二一、一九七一)


【参照項目】➡三身化身


【執筆者:柴田泰山】