往生正因
提供: 新纂浄土宗大辞典
おうじょうしょういん/往生正因
西方極楽浄土へ往生するための主要な条件。『無量寿経』第十八願文「もし我仏を得たらんに、十方の衆生、至心に信楽して、我が国に生ぜんと欲して、乃至十念せんに、もし生ぜずんば、正覚を取らじ」(聖典二二七/浄全一・七)に基づいて口称念仏こそが往生の要件であるとするのが浄土宗の立場である。『観経』下品下生には、「至心に、声をして絶えざらしめ、十念を具足して、南無阿弥陀仏と称す…一念の頃のごときに、すなわち極楽世界に往生することを得」(聖典一・三一二/浄全一・五〇)とあり、五逆の重罪を犯す凡夫であっても善知識に出会い口称念仏を行ずることで罪業が消滅し往生を遂げることが叶うと説かれている。『阿弥陀経』には、「善男子・善女人あって、阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持すること、もしは一日…もしは七日、一心不乱なれば、その人命終の時に臨んで、阿弥陀仏、諸もろの聖衆とともに、現にその前に在す。この人終わる時、心顚倒せず、すなわち阿弥陀仏の極楽国土に往生することを得」(聖典一・三一八~九/浄全一・五四)とあり、念仏を称え続けることで臨終に際し来迎を得て往生を遂げることが叶うと説かれている。善導は『観経疏』散善義において「一つには三福を明かして以て正因とす。二つには九品を明かして以て正行とす」(聖典二・二八五/浄全二・五四下)と記して、世俗の善根・持戒の善根・大乗の善根と広く善業全般をすべて回向しさえすれば往生の因となることを述べ、さらに九品それぞれの機根に見合う行を詳述している。それらすべての行に通じて「三心を弁定して以て正因とす」(聖典二・二八六/浄全二・五五上)と至誠心・深心・回向発願心の三心が具わることこそが往生の因となることを述べている。さらには「一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥に、時節の久近を問わず。念念に捨てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に」(聖典二・二九四/浄全二・五八下)と述べて、口称念仏こそが弥陀の願意に適う願であると論じている。『選択集』三では、上記経論を典拠として一章を立て弥陀は「余行を以て往生の本願とせず、ただ念仏を以て往生の本願と為たまえる」(聖典三・一一三/浄全七・一五)ことを論述している。
【参照項目】➡往生
【執筆者:渋谷康悦】