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霊長

提供: 新纂浄土宗大辞典

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れいちょう/霊長

享保一八年(一七三三)—文化八年(一八一一)七月二七日。本蓮社覚誉真阿了性。金戒光明寺四六世。明石の人。同所光明寺霊誉俊瑞のもとで出家増上寺において修学、学頭を務める。天明元年(一七八一)六月八日結城弘経寺三八世となり、同四年正月黒谷晋山。法務では記主禅師五〇〇回忌鎮西上人五五〇回忌源智上人五五〇回忌を営む。他に御影堂山門の再建、小方丈や居間の改築など、山内の整備にも力を入れた。寛政一〇年(一七九八)一〇月超勝院に隠棲。


【資料】『黒谷誌要』『結城弘経寺志』(共に浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三)、『三縁山志』八(浄全一九)


【執筆者:髙橋寿光】