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了義・不了義

提供: 新纂浄土宗大辞典

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りょうぎ・ふりょうぎ/了義・不了義

了義はⓈnītārthaⓉnges pa’i donの訳で完全円満な教説であることをいい、不了義はⓈneyārthaⓉdrang-ba’i donの訳で不完全な教説をいい、または未了義ともいう。了義不了義の判別は、大乗・小乗を問わず、様々な経論類に散説されている。大乗経典では羅什訳『維摩経』に、「了義経に依りて、不了義経に依らざれ」(正蔵一四・五五六下)とあるのが有名である。『涅槃経』では了義経を大乗菩薩の法、不了義経を小乗声聞の法と判ずるが、了義・不了義の判別基準は諸経論において一様ではない。基『大乗法苑義林章』(正蔵四五・二四六中)では大乗・小乗の諸説を整理して、①法印・非法印門、②詮常・非常門、③顕了・隠密門、④言略・語広門という四種の説をあげている。『摂大乗論世親釈には劣機の衆生を真実の教えに導くための手立てとして、不了義の意義が明かされている(正蔵三一・二三六中)。浄土教では、迦才かざい浄土論』に「唯だ浄土の一教のみ破限に入らず。当に知るべし、即ち是れ了義経なり。また菩薩、論を造りて仏経を解釈するに、其の不了義経は即ち破し、了義経は之れ即ち讃ず」(浄全六・六四二下正蔵四七・九〇中)とあり、浄土教了義であるから、菩薩の論に決破されることなく讃歎されているとする。善導は『観経疏散善義に「仏の所説は即ちこれ了教なり。菩薩等の説をば尽く不了教と名づく」(聖典二・一二二/浄全二・五六下)と述べ、仏語こそが了義であって、菩薩の説はすべて不了義とする。さらに「四重の破人」を説く中で、仏語は決して破壊されない「決定成就の了義」であり、疑惑心ではない「真実決了の義」であるから、たとえ仏・菩薩等が浄土の教えに対して異見・異解を語ったとしても決してそれに惑わされてはならないと諭している(聖典二・一二三/浄全二・五七下)。この背景には、当時、『摂大乗論』による別時意説や『往生論』による二乗種不生説という世親の論書を典拠とした浄土教への論難があり、それに対する反論として、菩薩の言葉ではなく浄土経典にあらわされた仏語のみを信ずるべきことを強調したのであろう。


【参考】工藤量導「迦才『浄土論』における別時意会通説」(『大正大学大学院論集』三二、二〇〇八)


【参照項目】➡四依別時意会通二乗種不生


【執筆者:工藤量導】