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円通寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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えんつうじ/円通寺

栃木県芳賀郡益子町大沢。大沢山虎渓院。栃木教区№六六。名越派檀林の一つ。応永九年(一四〇二)名越派中興の良栄理本により創建された。理本は、はじめ芳賀郡舟橋郷に創建し、学問所として大沢文庫を設けて弟子の育成にあたった。一〇世良迦性海のとき、天文一〇年(一五四一)全山焼失したために、領主益子右衛門尉から寺地を寄進され現在地に移転した。また、天正二年(一五七四)には正親おおぎまち天皇の勅願所となり大いに振興した。同時期、袋中は多くの典籍を寄進して大沢文庫の充実を図り、慶長九年(一六〇四)には朱印六〇石を領した。江戸時代には山崎専称寺とともに名越派本山ならびに檀林として九〇箇寺前後の末寺を統括し、門弟の育成にあたった。山内には六、七軒の学寮があり、所化寮主の指導のもとに修学した。表門は国重要文化財、ほかに一切経塔・本尊銅造阿弥陀如来立像・両脇侍等県重要文化財多数を有する。現在は、幼稚園や特別養護老人ホーム等の付属施設も併設されている。


【資料】『円通寺文書』、『浄土宗寺院由緒書』中(『増上寺史料集』六)


【参考】『栃木県史』通史編三(栃木県、一九八四)、𠮷水成正「浄土宗名越派の入寺帳について—特に寮主の動向を中心として—」(『三康文化研究所年報』三七、二〇〇六)、玉山成元「浄土宗名越派の確立について」(『藤原弘道先生古稀記念 史学仏教学論集』乾、一九七三)


【執筆者:𠮷水成正】


岐阜県大垣市西外側町。旭光山遍照院。岐阜教区№二三。円通寺資料によれば慶長六年(一六〇一)近江国膳所ぜぜ城主戸田氏鉄うじかねが、歴山開山に戸田家菩提所として建立。元和三年(一六一七)氏鉄の移封に伴い摂津国尼崎に移り、次いで寛永一二年(一六三五)氏鉄の大垣移封で、以前の大垣城主石川氏・松平氏らの菩提所があった現在地に移る。大垣藩歴代城主の廟所がある。昭和二〇年(一九四五)戦災で山門を残し全焼したが、後再建される。


【資料】『蓮門精舎旧詞』二七(続浄一九)


【執筆者:竹内真道】