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吉水玄信

提供: 新纂浄土宗大辞典

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よしみずげんしん/吉水玄信

文政一二年(一八二九)九月一七日—明治二〇年(一八八七)七月一七日。香蓮社馨誉柔阿光沢。増上寺七二世。信濃国更級郡真島村(長野市真島)の人で、丸田久右衛門の長男として生まれる。天保七年(一八三六)同郡氷飽村善導寺(長野市稲里町)で出家し、弘化四年(一八四七)に五重、嘉永三年(一八五〇)に宗戒両脈智典より相承した。その後日新窟・浄光窟の寮主を経て、明治五年(一八七二)八月に学頭となる。同年一一月に生実おゆみ大巌寺住職、同八年二月に鎌倉光明寺住職に進み、同一一年に中教正に叙せられた。同二〇年三月、新宗制制定をめぐって東西五本山の議論が紛糾し、管長法主全員が辞任する事態となり、同月二九日に秦義応とともに浄土宗臨時事務取扱に任ぜられ、四月六日に新宗制はようやく内務大臣に認可された。五月四日に公選によって増上寺法主に就任し、同一八日に事務取扱を免ぜられ在職中の精励を賞されたが、七月一七日に五九歳で入寂した。著書に『三心私記講籤』、『天台四教儀図記』、『大乗本生心地観経報恩品科註』、『記主禅師行状絵詞伝』等がある。


【資料】『略伝集』(浄全一八)


【参考】増上寺史料編纂所編『大本山増上寺史』本文編


【執筆者:福田行慈】