元和二年(一六一六)—貞享二年(一六八五)八月二九日。心蓮社叶誉故阿見竿。金戒光明寺三四世。加賀国金沢の人。増上寺露白の法を嗣ぐ。下谷幡随院に八世として住した後、延宝五年(一六七七)正月黒谷に晋山。金屋氏の出資により阿弥陀堂を西向きに移築、岡崎明神との境界問題に勝利、善導千年忌厳修など、寺務に励む。学才も高く『三経略解』『曼荼羅鈔』『浄家伝書』などを著す。同九年源崇院へ隠棲。
【資料】『黒谷誌要』、『下谷幡随院志』、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三)、『総系譜』中
【執筆者:髙橋寿光】