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山本空外

提供: 新纂浄土宗大辞典

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やまもとくうがい/山本空外

明治三五年(一九〇二)—平成一三年(二〇〇一)八月七日。通蓮社達誉法性阿行行一者。広島市に山本友吉・シゲの長男として誕生、幹夫と名づけられる。広島第一中学校から松山高等学校文科乙類へ進む。大正一二年(一九二三)四月には東京帝国大学文学部に進み卒業後、昭和二年(一九二七)に山形高等学校に二年間赴任したのちに、広島文理科大学助教授として倫理学を担当。同四年四月より二年半ドイツ・フランスヘ留学し、同一〇年に東京帝国大学に学位論文『哲学体系構成の二途』を提出し文学博士を取得し、翌年広島文理科大学教授に昇任、『弁栄聖者の人格と宗教』を出版。同一二年に中目アキと結婚、同二〇年八月広島市で被爆し、九月に浄土宗総本山知恩院において出家得度僧侶となる。同二二年島根県大原郡加茂町(現・雲南市)の隆法寺住職、同二八年三月に京都府相楽郡山城町上狛(現・木津川市)の法蓮寺住職。この年四月より新制広島大学文学部哲学科主任教授に就任し同四一年に定年を迎え名誉教授の称号を授与される。この間、愛媛大学・岡山大学・山口大学・福岡教育大学・佛教大学講師として出講し哲学・倫理学・書論大系などを教授する。同四一年四月より同四七年まで総本山知恩院浄土宗学研究所研究員として、特に現代の浄土宗学に関する研究指導を行い、「浄土宗学要論」や「現代の浄土宗学」を発表、これらは『念仏の哲学』(山喜房仏書林、一九七四)に収められる。同四九年一一月に(財)光明修養会上首に推戴され、平成元年(一九八九)には隆法寺に(財)空外記念館を開設し理事長となる。同一三年八月七日自坊法蓮寺で寂、享年一〇〇歳。著書に『哲学体系構成の二途—プローティーノス解釈試論—』『弁栄聖者の人格と宗教』『法然仏教とわが国体思想』『弁栄上人書簡集』『書と書道観Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ』『念仏の哲学』『念仏と自由』『いのちのみのり』『十二光—自己が自己になれる生き方—』『弁栄上人御遺墨集—六十周年記念—』『無二的人間』『念仏はいのちのうたごえ』『人間と自然』など多数。


【参考】龍飛水編『空外の生涯と思想』(無二会、二〇〇三)


【参照項目】➡光明会


【執筆者:藤本淨彦】