八百谷孝保
提供: 新纂浄土宗大辞典
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やおたにこうほ/八百谷孝保
明治四三年(一九一〇)二月一七日—昭和四七年(一九七二)七月一日。真蓮社浄誉煦阿順道。栃木市万町近龍寺に松濤舜鏡・ハツの三男として生まれ、昭和八年(一九三三)大正大学史学科を卒業、同九年東京文理科大学の東洋史学科へ進み、同研究科を修了。翌年、巣鴨女子高等学校(現・淑徳巣鴨高等学校)で教壇に立つ。同一三年東京市四谷区南町(現・新宿区南元町)一行院八百谷順応の法嗣として入寺、同一七年大正大学講師に迎えられ東洋史を講じ、特に朝鮮仏教史における元暁の研究で成果を挙げ、助教授、教授に任じられ、同四三年退任した。その間、同二七年浄土宗務所教学部主事を兼任、東西法式の統一を目指し、『法要集』(昭和二八年版)を発刊した。同二九年、境内に男子の一行院法式寮、女子の千日谷文庫寮を開設、宗門子弟の養成と女子教育の実践に当たった。同三二年『昭和新訂音読定本浄土三部経』を出版、古来の読み方を研究、全国統一に向かう一石を投じたものとなった。同三四年に境内・墓地に首都高速道路四号線が通ることが決まり、同三七年墓地を整備、諸堂宇を解体し、同三九年一一月、一行院千日谷会堂を再建した。これを記念して、開基永井直勝の伝記を上梓、改葬に当たり、発掘と遺品の調査報告・河越逸行著『掘り出された江戸時代』(雄山閣、一九七五)の執筆を補佐し、貴重な資料を提供した。また『昭和新訂浄土礼誦法』(一行院)を校訂出版し、宗門子弟の法式修得に寄与、初代浄土宗法式研究所長に就任した。世寿六二。著書に『近龍寺雑記』(近龍寺、一九七〇)他、論文多数がある。
【執筆者:田中勝道】