松濤賢定
提供: 新纂浄土宗大辞典
まつなみけんじょう/松濤賢定
慶応元年(一八六五)—昭和一三年(一九三八)一〇月一七日。見蓮社思誉斎阿、字は雖愚。また翠山学人とも称した。各種宗門校において子弟の育成に尽力。上野国に生まれ、幼くして増上寺へ掛錫。山内の妙定院松濤在舜のもとで出家したのち、増上寺石井大宣より宗戒両脈を相承。浄土宗学東京支校、浄土宗本校を経て高等正科を卒業。その後、浄土宗学東京教校教授、第一大教区第一教校校長、宗教大学教授、芝中学校校長を歴任。またこの間に芝山内の宝松院に晋山し、のちに同山内の妙定院に転董した。世寿七四歳。
【参考】現代仏教家人名辞典刊行会編『現代仏教家人名辞典』(同刊行会、一九二〇)
【執筆者:石川琢道】