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法道

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ほうどう/法道

文化元年(一八〇四)八月二五日—文久三年(一八六三)六月二三日。徳蓮社元誉信阿、あざなは円如。別に蓮庵と号す。俗姓は村尾氏。長門国萩の人。捨世派念仏聖の系譜に属し、大日比三師おおひびさんしの第三。九歳のとき大日比西円寺法岸に従い出家法洲ほうじゅうの下で修学する。文化一四年(一八一七)江戸増上寺の立誉弁信に随侍して精励するも、病にかかり一旦帰国。文政二年(一八一九)再び江戸に出て、同四年増上寺舜従より宗戒両脈相承した。同七年師法洲の命により二一歳の若さで西円寺住職となる。自らは日課念仏四万遍を修し、生涯の勧誡講説の席数五千余座、日課授与の総計六万余人に達したという。しかもその教化は、著書『御垂誡』によると、老師法岸・先師法洲の風儀を継承し、村民の実生活に即して、倫理・礼節、仏事の営み方、結婚・妊娠・出産、農事や生業、迷信等にまで及び、そのすべてが念仏に基礎付けられているところに特長がある。また藩命により防長二州の信徒への厳誡と、藩内浄土宗僧侶の弊風刷新にも努め功があった。


【参考】世良諦元編『大日比三師講説集』(西円寺出版、一九一〇)、『略伝集』(浄全一八)


【参照項目】➡大日比三師法道和尚行業記大日比三師講説集


【執筆者:長谷川匡俊】