操作

弁秀

提供: 新纂浄土宗大辞典

2018年3月30日 (金) 06:32時点におけるSeishimaru (トーク | 投稿記録)による版 (1版 をインポートしました)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

べんしゅう/弁秀

元禄一〇年(一六九七)—安永元年(一七七二)七月二九日。心蓮社歓誉天阿喜受。増上寺四七世。生国は遠江国浜松。氏姓は不詳。浜松玄忠寺得度増上寺で修学。のち鎌倉光明寺玄達に随身するが再び増上寺で修学。結城弘経寺三世飯沼弘経寺四六世、小石川伝通院三世を経て、明和三年(一七六六)一一月増上寺四七世に就任。学業策励と節倹を命じる制条を定め、山内の綱紀粛正をはかった。同七年一一月七日隠退。


【資料】『三縁山志』(浄全一九)


【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)


【執筆者:中野真理子】