天明六年(一七八六)—天保一一年(一八四〇)。越中国新川郡太田組河内村(富山市)の生まれ。槍ヶ岳開山上人と称される。二九歳で浄土宗の僧となり、念仏行者として山岳修行を行った。笠ヶ岳(岐阜県、二八九八メートル)を修行道場として再興。のち槍ヶ岳(三一八〇メートル)へ五回登山。文政一一年(一八二八)四三歳のとき浄財で鋳造した仏像を、槍ヶ岳寿命神として山頂に安置した。登山者の安全を願い、山頂付近に「善の綱」と称す鉄の鎖をかけた。
【執筆者:荻須眞教】