念仏除魔
提供: 新纂浄土宗大辞典
ねんぶつじょま/念仏除魔
念仏を称えることによって、修行の障害となる煩悩を除滅すること。善導『法事讃』には「仏恐衆生四魔障 願往生 未至極楽堕三塗 無量楽」(浄全四・二下/正蔵四七・四二五上)とあり、仏は衆生が四魔に遭遇して三悪道に堕ちてしまうことを恐れているとの偈頌がある。良忠『法事讃私記』(浄全四・三七上)では四魔について、元照が『観経新疏』(浄全五・三六二下/正蔵三七・二八三下)に示した五陰魔・煩悩魔・天魔・死魔の四を紹介している。法然は『逆修説法』一七日において、来迎引接に三義ありとして、①臨終正念のため、②道の先達のため、に加えて、③魔事を対治せんがため、を挙げている。すなわち、仏道の修行には必ず魔事の障害が伴うものであり、まして煩悩に縛られている凡夫が往生するための行を実践したとしても成就することは難しい。そこで「阿弥陀如来、無数化仏菩薩聖衆に囲遶せられて、光明赫奕として行者の前に現じたまう時には、魔王、是に此に近づき之れを障礙すること能わず。然れば則ち、来迎引接は魔障を対治せんが為なり」(昭法全二三五)というように、阿弥陀仏が光明を輝かせて行者の前に来迎するときには、魔王は近づいて往生を妨げることができないとしている。
【執筆者:工藤量導】