然空
提供: 新纂浄土宗大辞典
ねんくう/然空
—永仁五年(一二九七)八月一一日。礼阿。法光明院。良忠門下一条派祖。父は阿部貞公。一二歳で比叡山に登り永存に師事し天台を学んだ後、良忠の門下になったという。文永八年(一二七一)に木幡派祖良空(慈心)とともに鎌倉に下向し良忠のもとで三年間の修学後、同一〇年上洛し仁和寺西谷法光明院に住んで布教に専念した。京都において鎮西正統の教学を広め統一を考えた然空・良空の要請により、良忠は建治二年(一二七六)に上洛。その翌三年良忠より『授手印』を授かり、良忠が鎌倉に戻る弘安九年(一二八六)まで師事するとともに鎮西流の隆盛に尽力した。著作に『大経聞書』『浄土要略抄』『心行雑決』があり、また道光は『無量寿経鈔』の奥書で、この書を然空と精論して完成させたと述べる。然空門下証賢は清浄華院に住して一条派の基礎をつくった。
【資料】『鎮流祖伝』三(浄全一七)、『述聞制文』(浄全一一)
【参考】玉山成元『中世浄土宗教団史の研究』(山喜房仏書林、一九八〇)
【参照項目】➡一条派
【執筆者:大谷慈通】