如来院
提供: 新纂浄土宗大辞典
にょらいいん/如来院
兵庫県尼崎市寺町。珠光山遍照寺。兵庫教区№四〇。法然上人二十五霊場第四番。法然が四国配流の途次、神崎(兵庫県尼崎市)で遊女を念仏教化したことに由来する遺跡。天平年中(七二九—七四九)に聖武天皇の勅願により行基が開基した四十九院の一院で、釈迦土像を祀り遍照寺と号し、神崎の釈迦堂とも称された。法然が教化した五人の遊女は入水往生したために、法然は釈迦堂で念仏回向し、配所からの帰途にも、遊女の菩提のために二夜三日の念仏を修した。その後、釈迦堂は善光寺如来の模刻を本尊として如来院と号し、永正一七年(一五二〇)尼崎城主細川高国が城内に移し、元和三年(一六一七)現在地に再移転した。
【資料】『蓮門精舎旧詞』一〇(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)
【参考】梅渓昇「法然遺跡寺院としての如来院の活動について—付、西明寺について—」(『藤堂恭俊博士古稀記念 浄土宗典籍研究』研究篇、藤堂恭俊博士古稀記念会、一九八八)【図版】巻末付録
【参照項目】➡法然上人二十五霊場
【執筆者:山本博子】