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二祖対面

提供: 新纂浄土宗大辞典

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にそたいめん/二祖対面

法然が夢の中で善導と対面したことを言う。法然の伝記には、二回ほどいわゆる「二祖対面」と言い得る記事がみられる。『四十八巻伝』七には「上人、ある夜夢見らく、一の大山在り。その峰極めて高し。南北長遠にして、西方に向かえり。山の麓に大河在り。碧水へきすい北より出て、波浪南に流る。河原眇々びょうびょうとして辺際なく、林樹茫々ぼうぼうとして限数を知らず。山の腹に登りて、遥かに西方を見給えば、地より上五丈ばかり上がりて、空中に一聚ひとむら紫雲あり。この雲飛び来りて、上人のところに至る。希有の思いをなし給うところに、この紫雲の中より無量の光を出す。光の中より孔雀・鸚鵡等の、百宝色の鳥飛び出でて四方に散じ、また河浜に遊戯す。身より光を放ちて、照り耀き極まりなし。その後衆鳥飛び昇りて、元のごとく紫雲の中に入りぬ。この紫雲、また北に向かいて、山河を隠せり。彼処に往生人有るかと思惟し給うほどに、また須臾に帰り来りて、上人の前に住す。漸く広ごりて、一天下に覆う。雲の中より一人の僧出でて、上人の所に来り住す。その様、腰より下は金色にして、腰より上は墨染すみぞめなり。上人合掌低頭して申し給わく、〈これ誰人にましますぞや〉と。僧答え給わく、〈我はこれ善導なり〉と。〈何のために来給うぞや〉と申し給うに、〈汝専修念仏を広むること、貴きが故にきたれるなり〉とのたまうと見て、夢覚めぬ」(聖典六・七七~八)とある。この二祖対面の出来事は、「汝専修念仏を広むること、貴きが故に来れるなり」とあるところから立教開宗の頃とみなされ、『醍醐本』『私日記』などすべての法然伝記と『浄土随聞記』『選択要決』にみられる。また、『四十八巻伝』一一で『選択集』撰述を記した直後に「この書を選進せられて後、同年五月一日、上人の夢の中に、善導和尚来応して、〈汝、専修念仏弘通する故に、殊更に来れるなり〉と示し給う」(聖典六・一二三)とある。この記事は『夢感聖相記』にもある。このように法然が夢の中で善導と対面した記事は、立教開宗と『選択集』撰述とにまつわる時節であることがわかる。この両時節は、法然自身の内なる証しを善導の指南に置くという重大事であることを物語っていることになる。すなわち、法然専修念仏を提唱しようとするとき、それが善導の本意に添い、ふさわしいかどうかについて熟慮に熟慮を重ねたことが、夢中の会見、二祖対面となったと考えられる。二祖対面によってまさに法然の確信が成立し、これは浄土宗伝法のうえで極めて重要な意義を持ち、内証(直受)相承の確証とするものである。元来、夢は人間の深層なる心の様相を発露するものとして心理学で話題となるが、信仰の動態解明にとっても注目すべきであり、大乗仏教論疏においても論じられている。とりわけ信仰にとって重要な出来事である回心は、思考・思惟によってではなくて、夢に見るということによって極めて深層なる出来事として信心が突発するという意識の重要な転機を示すものとされる。


【参考】西郷信綱『古代人と夢』(平凡社、一九九三)


【参照項目】➡夢感聖相記夢告半金色


【執筆者:藤本淨彦】