戸松学瑛
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:30時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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とまつがくえい/戸松学瑛
明治一八年(一八八五)一〇月三日—昭和四九年(一九七四)一一月九日。誓蓮社願誉融阿無礙。宗門功労者。東京芝貞林寺に次男として生まれたが、父・戸松恭念の死に伴い南千住浄閑寺の岩野真隆に養育される。明治四一年(一九〇八)に宗教大学大学部、同四四年には同大学研究科を卒業。同四二年には伝通院にて加行、同四四年には葛飾香念寺の住職となる一方、翌年には浄土教報社の記者としても活躍する。大正二年(一九一三)には芝心光院に転住。戦後は、増上寺社会部長や東京教区長、浄土宗教学部長や東部布教師会会長などの要職を歴任するかたわら、民生委員、家庭裁判所調停員をつとめるなど社会活動に熱心であった。昭和四五年(一九七〇)には勲五等瑞宝章を授与され、没後に従六位勲五等が追贈。世寿八九歳。著書に『薄伽梵歌 原文対訳』(山喜房仏書林、一九七六)がある。
【参考】大橋俊雄『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)
【執筆者:戸松義晴】