東漸寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
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とうぜんじ/東漸寺
一
千葉県松戸市小金。仏法山一乗院。千葉教区№一三二。関東十八檀林の一。文明一三年(一四八一)愚底の開山。はじめ根木内村にあったが、天文一三年(一五四四)五世吟公のとき現在地に移り伽藍が整えられた。七世了学は小金城主高城胤則の一族であることから保護されますます隆盛となり、天正一五年(一五八七)には冬安居を行っている。つまり東漸寺はこれ以前から檀林として多くの所化が参集していたものと考えられる。文禄二年(一五九三)には徳川家康と関係をもち、寛永一三年(一六三六)には徳川家光から三五石の朱印地をもらって経済基盤を確立し、関東十八檀林の位置を固めた。明治二年(一八六九)勅願所となった。
【資料】『小金東漸寺志』(浄全二〇)
【参考】宇高良哲『関東浄土宗檀林古文書選』(東洋文化出版、一九八二)【図版】巻末付録
【参照項目】➡関東十八檀林
【執筆者:宇高良哲】
二
神奈川県横須賀市武。松得山長嶋院。神奈川教区№一六二。仁治元年(一二四〇)に三浦義季が仏門に入り「東漸」と号し、私邸を草庵として開創した。その後衰退していたが、天文年間(一五三二—一五五五)に長嶋肥後守が再興して開基となり、尊誉冏讃を招いて開山とした。江戸期に西福院・光泉寺を支院として有していたが、昭和二三年(一九四八)頃に合併。寺宝・日金地蔵尊は、もとは鎌倉・松源寺の本尊で、源頼朝が源家の再興を祈願した伊豆日金山の地蔵菩薩を、祈願成就した後に模して造像し鎌倉に安置したものと伝えられる。
【資料】『新篇相模国風土記稿』一一二(『大日本地誌大系』四〇)
【参考】『平成版浄土宗神奈川教区寺院誌』(神奈川教区教務所、二〇〇九)
【執筆者:沼倉雄人】