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澄憲

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ちょうけん/澄憲

大治元年(一一二六)—建仁三年(一二〇三)八月六日。房号は蓮行房、安居院あぐい法印と呼ばれた。平安末・鎌倉初期の天台僧で、論義・唱導で名声を博し安居院流の祖となる。珍兼に師事し顕教僧の道を歩む。平治の乱で父藤原通憲みちのり(信西)が敗死、連座して下野国配流となるが、ほどなく復帰。最勝講や法勝寺御八講の講師・証義にたびたび出仕し、承安四年(一一七四)の最勝講では祈雨説法を行い、降雨の効験で権少僧都から権大僧都に昇進した。寿永二年(一一八三)法印に叙せられ法勝寺御八講の証義を勤める。後白河院や貴族あるいは寺社の仏事導師を数多く勤め、卓抜した弁舌で人々を魅了した。官位は法印大僧都まで進み延暦寺探題・祇園別当など天台宗の要職に就く。仏事のため作った表白願文・経釈らは『言泉集』『転法輪鈔』に収録される。浄土教にも明るく文治三年(一一八七)後白河院の『往生要集談義に参加したほか、著書に『四十八願釈』『無量寿経悲華経弥陀四十八願抄』『往生要集疑問』があるが現存するのは一部である。『法華経阿弥陀経釈』では善導の『阿弥陀経』一〇万巻書写をたたえる。実子の聖覚唱導で名をなし、その技術は代々安居院流に継承された。


【資料】永井義憲・清水宥聖編『安居院唱導集』上(角川書店、一九七二)、「安居院唱導資料纂輯」(『国文学研究資料館文献調査部調査研究報告』一二—一八)、『玉葉』、『四十八巻伝』五・四〇


【参考】『仏教文学講座第八巻唱導の文学』(勉誠社、一九九五)、小峰和明『中世法会文芸論』(笠間書院、二〇〇九)


【参照項目】➡安居院流聖覚


【執筆者:善裕昭】