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知恩院宮

提供: 新纂浄土宗大辞典

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ちおんいんのみや/知恩院宮

知恩院入寺した法親王ほっしんのう知恩院門主。慶長一二年(一六〇七)徳川家康が後陽成天皇に奏請、皇子八宮を宮門跡としたのに始まる。八宮は尊照につき得度良純法親王と号した。三十五箇条法度第一条に宮門跡の規格を定め、門跡領一〇四五石、宮御殿は知恩院境内下段の地北部(今の華頂学園付近)に設けられた。尊光・尊統・尊胤・尊峰・尊超・尊秀法親王と続くが、慶応三年(一八六七)尊秀法親王が復飾して華頂宮博経親王と改称、明治三年(一八七〇)東京移住により廃絶した。


【資料】『駿府記』、『知恩院史料集』


【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)


【執筆者:今堀太逸】