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大長寺

提供: 新纂浄土宗大辞典

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だいちょうじ/大長寺

神奈川県鎌倉市岩瀬。亀鏡山護国院。神奈川教区№一一三。天文一七年(一五四八)の開創。相模国玉縄城主である北条綱成が開基となり、感誉存貞開山として招請した。存貞は後に増上寺一〇世に晋董しており、また続く二世円也三世存応なども増上寺晋董している。もとは「大頂寺」(「大超寺」と表記される史料もあり)であったものが徳川家康の寄進状に「大長寺」とあったために改称した。寛永年間(一六二四—一六四四)、岩瀬にあった庭松院と、延宝六年(一六七八)には公田村(横浜市栄区公田町)にあった慶岸寺と、いずれも無住であったために合併したといわれる。本尊阿弥陀如来は安阿弥陀仏快慶)の作と伝えられる。


【資料】『三縁山志』九(浄全一九)、『蓮門精舎旧詞』一、一八(続浄一八)、『新編相模国風土記稿』九九(『大日本地誌大系』四〇)


【参考】玉山成元『中世浄土宗教団史の研究』(山喜房仏書林、一九八〇)、『浄土宗神奈川教区寺院誌』(神奈川教区教務所、一九六二)、『平成版浄土宗神奈川教区寺院誌』(神奈川教区教務所、二〇〇九)


【執筆者:沼倉雄人】