たいしん/岱真
寛政六年(一七九四)—弘化三年(一八四六)。聴蓮社貫誉伝阿。字は聞慶。姓は牧氏。通称は慶之前・茂水。一九歳のとき菩提寺である相応寺皆誉聞隆のもとで出家し、増上寺に遊学して五六世教誉典海より宗戒両脈を相承した。以後南都北嶺・五山十刹などに顕密など諸教を学んだ後、増上寺の学寮主となる。のち知恩院六七世聴誉説行の請いによって内役常置の職につくが、天保七年(一八三六)一月に大坂一心寺の件で公障にふれ、三都追放の身となって以後は隠棲した。
【資料】『略伝集』(浄全一八)
【執筆者:大屋正順】