大乗寺
提供: 新纂浄土宗大辞典
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だいじょうじ/大乗寺
一
千葉県富津市富津。普戴山源光院。千葉教区№一九。増上寺の元末寺。触頭寺院であった。沿革については不明な点が多いが、貞元年間(九七六─九七八)に源信が東国を遊化した際、大野某という人の請いに応じて大貫の庄(千葉県富津市)に開創したといわれる。その後、天台宗から改宗して秋元の庄(同君津市)に移されたが、戦火に遭い風戸(富津市)へ移転。享禄二年(一五二九)現在の地に定着して浄土宗寺院となり、心蓮社相誉を開山とした。寛永一七年(一六四〇)一一月に堂宇が焼失。慶安元年(一六四八)に幕府より朱印一七石を賜る。境内には小林一茶と親交のあった女流俳人・織本花嬌の墓石があり、千葉県史跡記念物に指定されている。
【資料】『蓮門精舎旧詞』二一(続浄一八)、『浄土宗寺院由緒書』上(『増上寺史料集』五)
【参考】『千葉県浄土宗寺院誌』(千葉県浄土宗寺院誌刊行委員会、一九八二)
【執筆者:杉山裕俊】
二
和歌山県有田郡有田川町徳田。吒祇尼山深政院。和歌山教区№九七。永禄一二年(一五六九)金戒光明寺二一世法山が熊野参詣の途次、川止めでしばらくこの地に留錫し法筵を敷いた。それを喜んだ石垣城主畠山深政が同族の尚政と共に堂宇を建立。源性寺と名づけ法山に捧げ、また領内の真言宗の古寺を復興・改宗させ新寺を建立するなどして多くの寺院を末寺にした。正徳六年(一七一六)徳川家の命で寺号を大乗寺に改めた。
【資料】『蓮門精舎旧詞』四四(続浄一九)、『紀伊続風土記』六一
【執筆者:横田善教】