存牛
提供: 新纂浄土宗大辞典
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ぞんぎゅう/存牛
文明元年(一四六九)—天文一八年(一五四九)一二月二〇日。尊蓮社超誉。高顕真宗国師。知恩院二五世。知恩院を復興させた室町時代末期の僧。三河国岩津(愛知県)城主松平親忠の第五子。文明一三年(一四八一)同国信光明寺存冏に師事して出家、のち大恩寺了暁につき、永正八年(一五一一)には信光明寺三世となる。同一七年知恩院二四世訓公の遺言で後継者に推されたが、これを固辞。後柏原天皇の綸旨と知恩院本末寺院の懇請によって、翌年知恩院二五世に推戴された。応仁の大乱以降荒れ果てた知恩院の復興に尽力するとともに、皇室との関係を深め、浄土教の布教に努めた。その結果、大永四年(一五二四)正月一八日後柏原天皇より法然上人の祥忌月の法要を「御忌」と称すべき旨の鳳詔が下され、次いで後奈良天皇より「知恩教院」「大谷寺」の勅額を賜った。知恩院復興後は、同七年知恩院を退いて信光明寺に帰り、天文一四年(一五四五)に三河高月院に隠居して念仏生活を続け、同一八年に入寂。死後、安政四年(一八五七)、孝明天皇から国師号を賜っている。
【資料】『華頂誌要』(浄全一九)、『知恩院旧記採要録』
【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:伊藤弘道】