寛永一五年(一六三八)—享保二年(一七一七)三月一八日。雄蓮社松誉忠阿触光。増上寺三七世。生国は伊勢国。氏姓は高橋氏。伊勢蓮花谷梅香寺で出家。増上寺詮雄に師事し、詮雄が蓮花谷に隠栖のときに随従。のち増上寺学頭、深川霊巌寺七世、太田大光院二二世、鎌倉光明寺五五世を経て、正徳四年(一七一四)増上寺三七世。山内の学業策励につとめ、諸檀林の報謝金支配の統制を図る。詩歌を好み歌集『歴観集』二巻がある。享保二年麻布一本松(現・麻布台)に隠退。
【資料】『三縁山志』(浄全一九)
【参考】『大本山増上寺史・本文編』(大本山増上寺、一九九九)
【執筆者:中野真理子】