東京都小金井市前原。東京教区№一一一。正徳六年(一七一六)徳川家継(有章院殿)薨去に際し、増上寺山内の心光院を赤羽外に移し、跡地に御霊屋おたまやが造営された。その別当寺院として当院が建立され、縁誉意詮が別当に任ぜられた。同年秋に、一茎に二つの蓮華が咲いた珍瑞にちなんで院名が付けられた。文化八年(一八一一)の四谷失火で焼亡し、北の御霊屋北部に再建された。戦後、新宿区袋町へ移転し、さらに現在地に移る。
【資料】『三縁山志』三
【執筆者:佐藤堅正】