安永二年(一七七三)—弘化二年(一八四五)一二月一六日。但蓮社方誉因阿可松牀。知恩院六九世。太田大光院五四世、下谷幡随院三〇世、鎌倉光明寺八九世を経て、天保九年(一八三八)六月一〇日知恩院に転昇。同一〇年四月三日に大僧正に任官。同一五年一一月一一日に老齢のため辞山。洛中の天性寺に退き七三歳で寂した。
【資料】『下谷幡随院志』、『知恩院史』、『華頂誌要』、『浄源脈譜』
【執筆者:田中芳道】