—明和六年(一七六九)。厳蓮社麗誉善阿自爾。知恩院五三世。増上寺三四世雲臥の弟子。三縁山浄光窟の寮主をつとめたのち、深川霊巌寺一四世、飯沼弘経寺四三世、鎌倉光明寺六六世を歴任。宝暦四年(一七五四)に知恩院五三世となり、翌五年大僧正に任ぜられる。同一一年正月、法然上人五五〇回の御忌を行い、桃園天皇から「慧成えじょう大師」の諡号しごうを賜っている。同一三年八月に老齢のため辞山、京都富小路五条新善光寺に隠棲。
【資料】『三縁山志』八、『華頂誌要』(共に浄全一九)
【参考】『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:伊藤弘道】