釈迦像
提供: 新纂浄土宗大辞典
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しゃかぞう/釈迦像
釈迦の像。インドでは釈尊はパリニルヴァーナの体現者として理想化され、その表徴はストゥーパ(仏塔)であった。前二世紀頃にストゥーパの欄楯に図示された釈尊の事跡では、各場面の主人公釈尊は金剛座、菩提樹、宝冠などで示されている。古代、中インドでは神々の外は帝王ですら肖像化・可視化する習慣がなかった。一方、中インドと歴史風俗が根本的に異なった北西インドのガンダーラは、異民族クシャーナ朝下にはじめて仏教が興隆した。釈尊はここでははじめから人間の形姿で表現され、仏像(釈迦像)が創始された。一世紀後半には単独釈迦像も成立し、樹下観耕像、断食像、成道像、初転法輪像、涅槃像などが作られ、また梵天・帝釈や観音・弥勒と三尊像を構成した。また四~五世紀のガンダーラではストゥーパや堂宇は多数の禅定仏で飾られ、多仏思想・禅観経典の成立を促した。ガンダーラ起源の単独像は、後世の仏像形式の範となり、クシャーナ朝下のマトゥラーや二~三世紀にはサータヴァーハナ朝下のインド南地に及び、五世紀のインド北地ではグプタ朝サールナートで優美な釈迦像を生んだ。後漢代、釈迦像が中央アジアを経てはじめて中国に入り、やがて経典が伝来し、中国は仏教をはじめて知った。五~六世紀の中国では経典に基づく釈迦多宝並坐像なども好まれ、東アジアでは大乗の諸仏像とともに釈迦像も時代や地域に従って信仰を集める。釈尊在世時にウダヤナ王が栴檀の釈迦像を造ったという仏像創始伝説とこの像に対する信仰は、六~七世紀の中国でおこり、釈迦像の模刻が盛んに行われた。一〇世紀末に日本にも将来され嵯峨清凉寺の本尊となった。日本における釈迦像には法隆寺金堂釈迦三尊像(国宝、七世紀)、蟹満寺釈迦像(国宝、八世紀)、室生寺金堂と弥勒堂との釈迦像(国宝、九世紀)など、奈良平安初期の優品がある。
【執筆者:桑山正進】