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四無畏

提供: 新纂浄土宗大辞典

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しむい/四無畏

仏・菩薩説法するにあたって、何物をも畏れない自信。Ⓢcatvāri vaiśāradyāni。四無所畏ともいう。十八不共法じゅうはちふぐうほうの一つで、仏と菩薩でその内容が相違する。仏の四無畏は、①正等覚無畏(諸法現等覚無畏とも。一切を覚り、知らないことはないという自信)、②漏永尽ろようじん無畏(一切漏尽智無畏とも。一切の煩悩を断じたという自信)、③説障法無畏(障法不虚決定無畏とも。修行の障害となる煩悩を説いたという自信)、④説出道無畏(為証一切具足出道如性無畏とも。苦界を出離する道を説いたという自信)が挙げられる。また、菩薩四無畏は①能持無所畏(教えを記憶して忘れることがなく、それを説くことにおける自信)、②知根無所畏(教えを説く相手の機根を把握し、適切な説法をすることに対する自信)、③決疑無所畏(衆生が持つ疑問を解くことにおけるゆるぎない自信)、④答報無所畏(どのような質問に対しても自在に答えることにおける自信)の四。源信は『往生要集』第四大文「正修念仏」の総相観において、阿弥陀仏三身即一であり、その報身に「十力四無畏三念住・大悲、八万四千三昧門、八万四千波羅蜜門、恒沙塵数ごうじゃじんしゅの法門を究竟円満す」(浄全一五・八四下)と説く。法然は『選択集』三で、阿弥陀仏念仏一行を選取した理由について「弥陀一仏の所有あらゆ四智三身十力四無畏等の一切の内証の功徳相好光明説法・利生等の一切の外用げゆう功徳、皆ことごとく阿弥陀仏名号の中に摂在せり」(聖典三・一一八)と説明する。


【参照項目】➡十八不共法


【執筆者:齋藤蒙光】