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石上皆応

提供: 新纂浄土宗大辞典

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いしがみかいおう/石上皆応

安政二年(一八五五)—昭和三三年(一九五八)八月三日。寂静心院迎蓮社声誉現阿如水。北海道開教に生涯を尽くす。長野県下伊那郡(現・飯田市)の橋部弥右衛門の四男として生まれる。明治二年(一八六九)飯田市西教寺の田丸察応のもとで得度、皆応と改める。同六年芝増上寺佐藤説門学寮に入り、説門が神奈川県小机の泉谷寺に移る際、共に入寺し、説門のもとで伝宗伝戒を受け、さらに浄土宗学校に入り、岸上恢嶺きしがみかいれい福田行誡に師事した。同九年、北海道開教を志し、同一六年に古平願雄がんのう寺を創建し、次々と寺院を興隆。小樽の天上寺を隆盛にするなど、北海道の開教の第一人者として、伝道に従事して「一掃除、二勤行三学問」を唱道、一〇三歳まで活躍した。贈大僧正、法務・上座大和尚位を贈られる。


【参考】長野寛編『石上皆応僧正伝』(天上寺中興石上皆応僧正白寿慶祝会、一九五三)


【執筆者:石上善應】