敬法
提供: 新纂浄土宗大辞典
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きょうほう/敬法
元応二年(一三二〇)—応永七年(一四〇〇)三月二八日。慧鎮房貞凞僧全。清浄華院八世。伏見天皇の皇孫で尊凞親王の子。一一歳のとき叡山西塔黒谷の伝信について剃染受戒。松林房に住して円戒を宣揚し、浄土宗義を玄心にうけた。しかし承久・建武の兵乱や山徒によってたびたび堂宇が焼毀し、高野山に逃れて中性院聖憲のもとに身を寄せる。貞治二年(一三六三)六月玄心寂後、西谷法光明院に二年住し、清浄華院に復帰するが、また障難を受け河東中山に居住する。嘉慶元年(一三八七)九月、後円融上皇に円頓戒を授け、宗要を講じて室町に寺域を賜ると松林房をこの地に移し相伝の宝篋などを納めて宝祚延長を祈願した。康応元年(一三八九)一一月院号ならびに勅願所の綸旨を賜る。死後、五七日の中陰にさいして大僧正を贈られた。門弟は良如、定玄、等熈など三百余人に及ぶ。
【資料】『清浄華院誌要』『黒谷誌要』(共に浄全二〇)、『鎮流祖伝』四(浄全一七)、『総系譜』上、『浄源脈譜』(共に浄全一九)
【執筆者:永田真隆】