凝然
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:22時点における192.168.11.48 (トーク)による版
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ぎょうねん/凝然
延応二年(一二四〇)三月六日—元亨元年(一三二一)九月五日。諱は凝然。示観房と号す。鎌倉後期の東大寺戒壇院の僧。伊予国の藤原氏の生まれ。華厳教学の大家として知られる。一六歳で延暦寺戒壇にて菩薩戒を受け、二〇歳のときに東大寺戒壇院で具足戒を受けた。その後、戒壇院中興の円照、真言院中興の聖守、尊勝院の宗性ほかの諸師に学び、華厳・法相・天台・真言など顕密八宗を遍く修め、律に深く通じ、また法然の弟子である九品寺の長西からは諸行本願義を稟けた。「華厳兼律金剛欣浄沙門」と自称するゆえんである。円照没後、戒壇院長老を継承するが、その間も唐招提寺・室生寺・西大寺・白毫寺など諸寺に居を移しつつ、著述・講説に精力を傾注した。徳治二年(一三〇七)には後宇多院に授戒している。凝然は極めて多作であり、著作は一千余巻を数えると言われるが、最初の著述である文永五年(一二六八)の『八宗綱要』をはじめ、『華厳法界義鏡』『律宗綱要』『源流章』『声明源流記』などは古来著名で、『三国仏法伝通縁起』も仏教史書として名高い。弟子には禅爾・禅明らがいる。
【参考】新藤晋海編『凝然大徳事績梗概』(東大寺教学部、一九七一)
【執筆者:舩田淳一】