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大橋俊雄

提供: 新纂浄土宗大辞典

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おおはししゅんのう/大橋俊雄

大正一四年(一九二五)九月一日—平成一三年(二〇〇一)一二月二六日。英蓮社智誉同阿修史菽水しゅくすい。神奈川に生まれる。幼名登志夫。昭和一九年(一九四四)宗戒両脈相承法名増上寺執事長中村弁康に授かる。同三五年璽書伝授「傑阿」、平成一〇年(一九九八)本山蓮華寺三世となり、代々の称号である「同阿」を相承。昭和一八年(一九四三)大正大学入学、在学中に中部九八部隊入営、同二三年大学卒業後、教員となる。その傍ら、服部清道から史学研究法、古文書解読や拓本法、石井教道から華厳学と浄土三派教義上の差異や浄土宗史を、石橋誡道から浄土宗史浄土律を学んだ。生涯にわたる調査と研究は①「法然・一遍および浄土宗時宗教団史の研究」、②「一向教団(番場時衆)の研究」、③「浄土宗人名事典(人と業績)の編集」の三種に大別できる。生活は晴耕雨読と菽水を常としていた。昭和三五年(一九六〇)神奈川教区西林寺住職、平成四年(一九九二)文学博士授与。知恩院宿老待遇。主要著作として『一遍上人語録』(岩波書店、一九八五)、『選択本願念仏集』(同、一九九七)、『法然上人絵伝』上・下(同、二〇〇二)、『法然』(講談社、一九九八)、『一遍聖』(同、二〇〇一)、『浄土宗人名事典』(斎々坊、二〇〇一)他多数。校注に携わったものとして『昭和新修法然上人全集』(理想社、一九五五)がある。


【執筆者:大橋俊史】