蓮勝
提供: 新纂浄土宗大辞典
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れんしょう/蓮勝
弘安五年(一二八二)—康安二年(一三六二)二月二二日。字は永慶。常陸国の人。浄土宗五祖。瓜連常福寺開山の了実や浄土宗中興の祖といわれる聖冏などを輩出。鎌倉蓮華寺(現・光明寺)良暁のもとで出家・修学ののち、元応二年(一三二〇)四月一三日、宗脈相承の璽書を授与された。のちに郷里に帰り念仏布教に励み、延元元年(一三三六)常陸国久慈郡太田(茨城県常陸太田市)に法然寺を創建。文和年間(一三五二—一三五六)には了実、文和四年(一三五五)には聖冏が蓮勝のもとで修学するなど、多くの弟子が集まり隆盛であったが、のち佐竹・小田の合戦で焼失、一時廃絶した。なお太田の法然寺は、慶長元年(一五九六)、佐竹義重の家臣の田中越中守が檀越となり、香誉が再建した。弟子の了実は蓮勝の法を継いで瓜連常福寺を創建、やがて十八檀林の一つとして発展する下地を作った。弟子はその他に、長存(武蔵国大泊の長福寺開山)、慈栄(同国大泊の慈眼寺開山)、弁誉(常陸国筑波郡小田の解脱寺開山)等がいる。了実や聖冏に与えた影響は大きく、浄土宗発展の基礎を築いた。また当時、親鸞門下が勢力をはっていた常陸国に進出し、白旗派の教線を広げた功績も大きい。蓮勝は和歌に対する造詣も深かった。没年については康安二年説のほか応安五年(一三七二)七月二二日とする資料もある。
【資料】『鎮流祖伝』二、『新選往生伝』、『総系譜』中、『瓜連常福寺志』
【参考】大島泰信『浄土宗史』(浄全二〇)、玉山成元『中世浄土宗教団史の研究』(山喜房仏書林、一九八〇)
【執筆者:石川琢道】