霊長
提供: 新纂浄土宗大辞典
2018年3月30日 (金) 06:35時点における192.168.11.48 (トーク)による版
2018年3月30日 (金) 06:35時点における192.168.11.48 (トーク)による版
れいちょう/霊長
享保一八年(一七三三)—文化八年(一八一一)七月二七日。本蓮社覚誉真阿了性。金戒光明寺四六世。明石の人。同所光明寺霊誉俊瑞のもとで出家、増上寺において修学、学頭を務める。天明元年(一七八一)六月八日結城弘経寺三八世となり、同四年正月黒谷に晋山。法務では記主禅師五〇〇回忌、鎮西上人五五〇回忌、源智上人五五〇回忌を営む。他に御影堂や山門の再建、小方丈や居間の改築など、山内の整備にも力を入れた。寛政一〇年(一七九八)一〇月超勝院に隠棲。
【資料】『黒谷誌要』『結城弘経寺志』(共に浄全二〇)、北川敏於『奥津城—黒谷に眠る人々—』(金戒光明寺、一九七三)、『三縁山志』八(浄全一九)
【執筆者:髙橋寿光】