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多善根・少善根

提供: 新纂浄土宗大辞典

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たぜんごん・しょうぜんごん/多善根・少善根

功徳の多い善根と少ない善根のこと。浄土宗においては極楽浄土への往生を目指すに際し、阿弥陀仏本願として選取した称名念仏は多善根であり、選捨した諸行少善根であるということ。『阿弥陀経』に「少善根福徳因縁をもって、かの国に生ずることを得べからず」(聖典一・三一八/浄全一・五三)とあり、さらに『龍舒浄土文』一には「襄陽じょうよう石刻阿弥陀経」所収の「専ら名号を持すれば、名を称するを以ての故に諸罪消滅す。即ち是れ多善根福徳因縁なり」(浄全六・八四四下)という二一文字(原漢文)からなる『阿弥陀経』脱文が紹介されている。これによって法然は『逆修説法』三七日の中で「近来わたりたる唐書に龍舒の浄土文と申す文の候。其れに阿弥陀経の脱文と申して、二十一字有る文を出せり…此の脱文無しと雖も唯、義を以て思うに、多少の義有りと雖も、正しく念仏を指して多善根と云う文、実に大切なり」(昭法全二五四)と本願念仏が多善根諸行少善根であることを確信し、最終的に『選択集』一三において「念仏を以て多善根と為し、雑善を以て少善根と為すの文」(聖典三・一七五/昭法全三四四)と明示している。こうした念仏諸行の多少相対説示の主格は我々凡夫ではなく、阿弥陀仏による選択本願の底意を汲んだ釈尊であるという点が肝要である。法然は『同』一三において、こうした多少相対に加え、念仏は大善根・勝善根であり、諸行は小善根・劣善根であると結論づけている。


【参考】金子寛哉「念仏多善根について」(『仏教文化研究』四四、二〇〇〇)、林田康順「法然上人における勝劣・大小・多少相対三義の成立について—〈念仏多善根の文〉渡来の意義—」(『宮林昭彦教授古稀記念論文集・仏教思想の受容と展開』一、山喜房仏書林、二〇〇四)


【参照項目】➡襄陽石刻阿弥陀経


【執筆者:林田康順】