法然が開眼法要をした寺院。『四十八巻伝』に依れば、藤原宗貞とその妻が、建仁二年(一二〇二)に京都雲居寺うんごじの付近に建立したとされる寺院。法然が雲居寺の勝応弥陀院に百日参詣したある日、宗貞は堂宇の建立と仏像の開眼供養を頼んだ。この本尊は阿弥陀仏であったが、脇侍が観音・地蔵であったので断られた。宗貞は地蔵を改め勢至像を造立した。それにより法然は、開眼にあたり念仏千遍を唱えて、寺号を引摂寺とつけ、やがて不断念仏を行った。
【資料】『四十八巻伝』一三
【参照項目】➡藤原宗貞、雲居寺
【執筆者:小此木輝之】