明和七年(一七七〇)—天保九年(一八三八)四月二一日。法蓮社響誉浄阿天僊。知恩院六八世。生地、師籍不明。江戸崎大念寺三三世、太田大光院五三世、鎌倉光明寺八八世を経て、天保八年(一八三七)一月二三日、台命により知恩院六八世に転昇、三月二四日に入院。同年二月二三日から二九日の七日間、二祖聖光の六〇〇回忌法要が修されたが、入院前であったため名代導師として修された。同年三月住職就任御礼に参内。在住は短く、一年三ヶ月で入寂。そのため大僧正任官はなかった。
【資料】『華頂誌要』(浄全一九)、井川定慶『知恩院史』(知恩院、一九三七)
【執筆者:伊藤弘道】