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清凉寺式釈迦像

提供: 新纂浄土宗大辞典

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せいりょうじしきしゃかぞう/清凉寺式釈迦像

永延元年(九八七)に東大寺奝然ちょうねんが中国より請来した京都・清凉寺釈迦如来立像(国宝)の模刻像の総称。清凉寺像のもととなった仏像は、『増一阿含経』二八などに、釈尊在世中に優塡うてん王(ウダヤナ王、無憂王)が造らせたとされる史上初の仏像(優塡王像)との伝承を有し、清凉寺像は雍熙二年(九八五)にこれを台州において模刻したもの。こうした由来をもつ清凉寺像は、インド・中国・日本の三国伝来の瑞像また生身しょうしん釈迦像として朝野の尊崇を集めたことから、平安末期以降さかんに模刻が行われ、京都を中心とする日本各地に約七〇体が現存する。額が狭く頰が豊かな面長な面貌や、縄状に渦を巻いた頭髪、通肩袈裟をまとい頸周りまでを覆う着衣形式、文様化された流水状衣文、弧を連ねた身光など、顕著な造形的特徴を有する。施無畏・与願印を結ぶ。現存作例のうち、承徳二年(一〇九八)に清凉寺別当となった隆明が在任時に模刻したとされる京都・三室戸寺像(国重要文化財)がもっとも古く、胎内納入品に年紀のある像としては、胎内納入の鏡に建久四年(一一九三)の刻銘を有する東京・大円寺像(国重要文化財)が最古。数ある現存作例のなかでも、建長元年(一二四九)叡尊が仏師善慶らを率いて造った奈良・西大寺像(国重要文化財)はとくに名高い。


【参照項目】➡清凉寺


【執筆者:大西磨希子】