「興福院」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:23時点における最新版
こんぶいん/興福院
奈良市法蓮町。法蓮山。奈良教区№一九。近世以前は添下郡興福院村(奈良市尼辻)にあり、本尊が薬師如来像だった。古くは弘文院とも書き、興福尼院とも称された。開創については、宝亀元年(七七〇)藤原百川の建立説と、天平勝宝年間(七四九—七五七)和気清麻呂の創建説との二説がある。一時衰退したが天正年間(一五七三—一五九二)阿弥陀仏を本尊として復興、豊臣秀長の外護を受けた。寛永一三年(一六三六)徳川家光から朱印地二〇〇石を与えられ本堂・客殿・大門等を造営。寛文五年(一六六五)徳川家綱から新地を寄進され現在地に移転、諸堂も移築した。本尊の阿弥陀三尊像(国重要文化財)は奈良時代の作。絹本著色「阿弥陀二十五菩薩来迎図」、『古葉略類聚鈔』(共に国重要文化財)などを所蔵。
【資料】『南都七大寺巡礼記』(仏全一二〇)、『和州寺社記』(『大和志』三—三、大和国史会、一九三六)、『和州旧跡幽考』(『続々群書類従』八)
【執筆者:中村勝胤】