「敬仏」の版間の差分
提供: 新纂浄土宗大辞典
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2018年3月30日 (金) 06:22時点における最新版
きょうぶつ/敬仏
一三世紀頃、生没年不明。法然と明遍の弟子。もとは常陸国真壁(茨城県桜川市)の人。高野山に登り、明遍のもとで念仏聖となり、道心者の高野僧として世に知られていたという。上洛して法然のもとを訪れ、その弟子となった。京都大原に長く滞在し、奥州や関東などにも回遊したという。『一言芳談』には敬仏の三二の法語が収録されており、その言葉からは、厭離穢土の心を高めて名利を嫌い、専修念仏に没頭して死への恐れすら克服した境地が窺える。また『民経記』によると、嘉禄三年(一二二七)の法難の際には宜秋門院の女房東御方のもとに滞在しており、延暦寺から朝廷に捕縛の要請がなされた。民部卿平経高の日記『平戸記』にも、仁治三年(一二四二)以降、経高の恒例念仏衆の筆頭として、その名がたびたび挙げられている。
【資料】弘願本、『沙石集』九
【参考】伊藤唯眞『浄土宗の成立と展開』(吉川弘文館、一九八一)
【執筆者:齋藤蒙光】